会社という組織
こんばんは、星がもらえたので嬉しくて二日続いての更新となります。
今日は会社で感じる違和感について書きます。
どんな違和感かというと、会社ってそもそも個々の能力を生かすためにできた組織じゃないの?というものです。
英語で会社はcompany→com(共に)pan(パン)y(名詞)
つまり、「一緒にパンを食べる人」という意味です。
会社で言えばパンというのは利益の例えと言えるかもしれません。
「一緒に利益を得る仲間」ということですね。
一緒に利益を得るためには、それぞれが個々の得意を生かして、協力することが求められます。そうでなければ一緒にパンを食べることはできませんし、それでは一緒に働く意味がありません。スティーブジョブズとウォズニアックのようにプレゼンとカリスマ性に長けたスティーブ、技術とセンスに長けたウォズニアック、この二人が互いの能力を認め、発揮しあうことであのアップル製品は誕生しました。
だからこそ会社という組織である必要があると思います。これは僕の職場の話ですが、僕の部署内では誰もが同等のことができるようになるということが求められています。
これは僕の部署に限った話ではないと思います。割と社会では当然のような考え方なのかなと感じます。
僕はそこに違和感を感じます。もともと、違う能力を持って互いの得意を生かす組織であったはずが、規模が大きくなると、その機能が働かなくなるというのは不思議です。
勿論、組織が大きくなれば部署として動くことになり、部署が一単位となるため、それがメンバーと同義だということはわかります。ただ、その部署自体も小さい組織であることには変わりません。それなのに、そこにいる人間を均質化して誰でもなんでもできるようにしてしまうことは良い反面、悪い部分もあります。
均質化された結果、個々の発揮できる能力は知らないうちに封じられ、
組織でありながら組織としてのメリットが発揮されないという結果を招くのではないかと思います。そして、会社で働く人間は個性を失い、自信を失い、得意を生かせればもっとイキイキと働けたであろうにその人生を謳歌できないという結果になってしまいます。
最後のところはちょっと言い過ぎかもしれませんが、
言いたいことは、
会社の中には、組織である意味を失っている会社もあるということ。
部署などの細分化は仕方ないが、その部署内でもしっかりと役割分担、個々の能力を生かした仕事のまわし方をしている企業は少ないのではないかと思います。
その仕事のまわし方、人の配属を考え直すことが今後の会社では必要なのではないかと考えました。
走り書きのため、非常に読みにくい文章となっていますが、
読んでいただきありがとうございます。
また頭が整理できたら、推敲します。