日記が続かない
こんにちは、2日ほど空いてしまいましたが、記事を更新していきます。
先週はブログを久しぶりに再開して、文章を書くことがいかに足りていなかったのかを思い知りました。というのも社会人になってから、職業柄同期もあまりいなくて誰かと議論することは少なくなっていたので、いつの間にか自分の意見を発する機会も少なくなっていました。
それに伴って、自分の価値観が薄れてその価値観に準ずる行動もなくなっていたのだと思います。大学時代はいつでもそういう意見を交わす人が一人はいたもので、馬鹿みたいに真剣に話し合っていたなと感じていましたが、今になって思うのは、人の中にこそ自分を見出すことができるのだということです。
人と話すことで、相手のこともわかるし自分のこともわかる。どちらも同じ意見を持つこともあって、違う意見を持つこともある。一人ひとりに違いがあって、一つ一つに違いがあるからこそ自分の人生を歩むことができる。
人と話す中で、その考え方・価値観は間違ってる、とか思うからこそ自分がどうしたいのか分かり、次の行動につながる。意外とそれがエネルギーになっていたのだなぁと感じています。
さて、本日の表題ですが多くの人が始めてはやめて、を繰り返してしまう日記についてです。僕もその一人です。。
最初に日記を始めたのは、大学1年生の後期らへんでしょうか。友達が日記を付けているのを見て単純にかっこいいなと思いました。それが何か月か続きましたが、いつの間にか終わっていた。次に、ハードルを下げてまた挑戦するも続かず。次にまた始まり、また終わる。その繰り返し。。
いつの間にか日記を書いたところで意味がない(自分には日記を生かすことができない)と考えるようになりました。でも違いました。これはブログを書いている中で気づいたことなのですが、発信している意識があるか無いか、それが日記の継続に大きく関わってくるポイントだと思います。
先週久しぶりに文章を書いて、誰かに☆がもらえてさらに文章を書こうと思えた。
このとき、自分の中で感じたのは自分の発信を誰かが受け取っているという事実でした。そしてその☆が自分の文章へのフィードバックにもなっていることに気が付きました。
僕はそうだったんですが、日記に書いたことって結構忘れてしまうんですよね。
しかも自分で見返すことって意外となかった。でも、日記に書いたことや考えたことを友達と議論することってあった。そしてそうやって議論したことって、忘れにくいどころか自分なりの答えが見つかるまで再考することが多かった。この”再考する”というのがとても大事だった。
その中で見つかった自分なりの答えをまた議論したり行動にしたりすることで時間を進めることには自信を持てたし、楽しかった。
話を戻しますと、日記にはブログのように発信したという意識が少ない。その理由としては、フィードバックがないことが大きい。書いたことって忘れるんです。
でも、書く+意識する、となれば次につながる行動になる。
だから、発信したという意識が大事です。頭に残るから。
会話でもそうですが、自分で発言したことって後から思い出したり、あの時はこう言った方が伝わったかなとか面白かったかなとか考えるんですよね。そうやって自然と反省すると、次の一歩が見えてくる。
これを繰り返す内に、ものごとは向上していくんじゃないかなと。
深い考えに到達する一歩が発信するという意識なのかなと思います。
日記をそういう場にできれば継続は自然とできて、究極的には書き出さなくても
頭の中で勝手に整理できるようになるのではと思います。
最後に、このとりとめのない話をまとめると、
日記が続かない理由は、書いたことが頭に残りにくいから。
頭に残すためには発信した意識が必要。
その意識は他者からのリアクションや他者との会話から生まれる。
頭に残れば、内容を振り返り、考えのブラッシュアップにつながり、行動にもつながる。
それが昨日とは違う自分になることであり、
そこに自分にとっての日記の意味があると思う。
こんなとりとめのない話を最後まで読んでくださりありがとうございます。
文章の流れとかあまり考えずに書いてしまっているので、読み苦しかったと思います。
もっと伝わりやすい文章を書けるよう精進します。
それではまた。