頑張ることは無意味か
こんばんは、今日も寒いですね。
今日は、頑張ることについて書きたいと思います。
今年ももうひと月が終わろうとしています。
新年が明けて、年始に立てた目標に向けて頑張っている人もいれば、
すでに挫折を体験している人もいるかもしれません。
ちなみに私の目標は、
①肉体的目標・・・昔から痩せているので、太る(8~10kg)
②生活的目標・・・自炊を行い、25品の料理を極める
③学習的目標・・・TOEIC800点をとる
④精神的目標・・・習慣を継続できるだけの精神力を付ける、徳を積めるような行動言動を心がける
というような感じで、盛りだくさんですな。
②の料理に関しては割と順調に進んでおります。
①はランニングシューズを購入し、すでに何度かランニングも始めております。
しかも近日、近くの体育館でトレーニングに励む予定であります。
③は年明け2週目ではやっていたのですが、3週目に入った途端ぱたりと止めてしまいました。これこそ継続が必要なものなんですがね、、、
④は英語の件があるのでまだまだこれからですね。。徳もまだ積める精神状態ではないです。。
割と先週までは意気揚々と毎日仕事から帰って、ご飯作って、英語勉強して、
ブログ書いてみたいな気の張った、でも充実した日々を送ることに成功していたんですが、今週に入って反動がひどくてブログすらまともに書けませんでしたね。仕事から帰ってご飯は作りましたけど、すぐ寝て朝もぎりぎりまで寝てみたいなもう真逆な生活になりました。笑
皆さんもこんな経験ありませんか?
頑張って色々やった結果、力尽きて何もできなくなってその結果自己嫌悪、みたいな。
でもって、自分は頑張りが長続きしない人間なんだ。orz
とへこんだ経験。
僕も何度も経験してて、こんな経験前にもあったな、ていう風に気づいたとき、
ふと思ったんです。こうやって頑張ることって無意味なのかな?と。
結論から言うと、こういう頑張りは無意味ではないと思うんです。
もちろん、頑張って続かなかったあと自己嫌悪に陥ってマイナスになったように感じるます。で、大体の人(自分も含めて)がこの段階でやめてしまう。自分には向いてない、早かった、
でも、大事なのはこの後。なんで続かなかったのかを考えること。
とりあえず自己嫌悪を経験したら、やり方を変えてもう一度やってみる。
僕は今その段階です。笑
以下、それぞれについて反省点を考えていきます。
今回、いっぺんにいくつもの企画を進めてしまったことは、全体の反省になります。
いくつも進めることは自分のエネルギーを分割して使うことになるので、すごいストイックな生活になります。これができる人ってなかなかいないですよね、しかも普段の仕事もあるからハードル高いし、どこか身体なり精神なりに支障が出ると思います。
(冷静に考えると僕はこれをしようとしていたのか。。。そら続かない。)
図を見てもらえるとイメージ伝わりやすいかと思いますが、
いっぺんにやろうとすると、エネルギーを分割して大量に使うことになるので、
かなり負荷が高くなります。
一方、徐々に習慣化させていくと使うエネルギーも少しずつなので、全体のエネルギーの1割から2割でエネルギー消費が抑えられるので、負荷も小さく済みます。
負荷が高すぎると他の日常生活にも支障をきたして、自己嫌悪にも陥りやすいと思うので、徐々に習慣化していく方がよさそうですよね。
長々と説明してしまいましたが、ここからは改善方法について考えていきます。
現状としては、②の生活的目標はほぼ習慣化できていてこのまま継続すれば大丈夫そう。①は少しずつ始められているし、健康にかかわるので割と緊張感を持つ意識ができてきた感じ。③は正直まだ必要とする意識が作れていない、④は少しずつ意識するようになっている。
目標として一番時間がかかると思われるのは、①の肉体的目標と考えられるので、
②の次に習慣化するのは①にしよう。①②の習慣化をしているうちに、③の意識を育てていこうと思う。④に関しては①~③を行っている中で意識していくことで具体的な行動が見えてくると考えているので今はまだ寝かせておく。
かなり長くなりましたが、結論としては
頑張ることは無意味ではない。とは言い切れない。
なぜなら、一度頑張ったことを振り返ってみてこれから改善して再度頑張るため。
無意味ではない、という結論に持っていけるように習慣化と目標の達成に向けて
頑張ってみます。
よく分からない内容となってしまいましたが、
最後まで読んでいただきありがとうございます。